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震災備忘録 大槌町20110430

2020年03月11日 | カテゴリー:竜輔のつぶやき

震災から今年で9年目、忘れられない思いとして、今日のこの日に再度こちらのブログにもアップしておきます。

これは2011/04/30に岩手県大槌町にボランティアとして参加したときの感想を綴った手紙です。
当時の原文まま、備忘録として掲載します。

プロローグ

2009/08/01 18:41
まず初めにどうして大槌町へ行くことになったかについて触れておこうと思います。
少し長くなりますが、私の気持ちの心の変化を知っていただくことが、一番伝えなければならない内容だと思いますので、お付合い願います。

私はあの震災が起きてから、広範囲な被害地域の中でも大槌町のことがとても気がかりでした。
それはひろ美さんの故郷でもあり、私自身が実際に訪れたことのある土地だからです。

あれは2009年08月01日。私はひろ美さんが故郷の大槌町の夏祭りに出演されると聞いて、私は仲間と共に三人で応援に行くことにしたのです。
『ひろ美さんが故郷の大槌町の夏祭りで行う』という情報しか持っていなかった私たち。もちろん初めて訪れる土地なのでイベント開催場所なんかも分からずに四苦八苦。
現地の住民の方とコミケーションを取りながら、駐車場を提供して頂いたり、場所を教えて頂いたりして辿り着きました。
お祭りの屋台で会話したり、ステージの前で一緒に盛り上げたり、外から来た私たちに対してとても暖かく迎えてくださったのが思い出されます。

そんな私自身も縁のあった場所ですので、あの震災が発生した日から本当に様々な思いを巡らせる毎日が続きました。
私は東京に住んでいるので実質的な被害はなく、ほぼ普段と変わらない生活が送れます。
けれど震災の報道がテレビからラジオから流れるたびに、私の心は疼きます。
本当に今、私がしなければならいことは何だろう?
被災地の現状とは裏腹にいつもの日常が過ぎていく。そのギャップが私の中に罪悪感、焦燥感、不信感といった様々なマイナス要素で心を苛む日々が続きました。

そんな中、恵比寿のライブゲートにて行われたチャリティライブにひろ美さんが出演されるとのこと。なんとかスケジュールを調整し参加しました。
そこでひろ美さんから直接、被災地である大槌町の様子を伝えて頂きました。
テレビやラジオから流れてくる情報とは違う、何の装飾も梱包もされていない生の情景。
そこには悲しくて、辛くて、悔しくて、残酷なものしかありませんでした。
これが現実、本当に私たちが知っておかなければならないものなのだと思いました。

その恵比寿での一件から、私は自分の五感で状況を知りたい。誰かから伝えられた内容ではなく、自分の心で現状を感じたいと思うようになりました。
じゃあ、そのためにはどうすれば良いだろうか?
私はとりあえず現地の近況に詳しいであろうひろ美さんにメールで問い合わせることにしました。
「私は何が出来るでしょうか?どうやって現地に行けばいいでしょうか?分りません、教えてください。」
そんな内容の問い合わせメールでした。

メールを送った数日後、ひろ美さんのラジオが更新されました。
その内容を聞いて、私は頭を打ん殴られた気分でした。
それまでの私は何かをしたいけど分からないから動けないのだと自分に言い訳をしていたのです。
でもそれは違う、分らないのではなくて、本当に考えていないだけ。
動けないのではなくて、本当に動こうとしていないだけだってことに気がついたのです。

人それぞれやれること、やりたいことは違う。
やりたいからやるし、やりたくないからやらない。
それが何なのかは自分で考えて決めるもの。

自分の心で現状を感じたい、何かしたいと思っていたのに既にスタートから他人に頼っていた私。
他人に決めてもらえれば、それを実行することは容易いです。だって何も考えなくて良いのだから。あの人がそう言っていたと、責任逃れも言い訳もできます。
でもそれでは何も始まらないし、何にも出来ない、何も進んでいかないものだって教えてもらいました。

そこから私はインターネットなどを利用して自分で情報を集めました。すると岩手県社会福祉協議会のボランティア募集のページを見つけました。
すぐに電話をして個人ボランティアとして応募、休みを利用して大槌町へボランティアとして行くことが決まったのです。

そこで電話対応をして下さった女性の方ともお話をしたのですが、
『何かをしたいと思っているだけでは何も始まらない。あなたのように自ら動いてくれる個人の方は本当に少ないので本当に助かります。
今、日本中の考えている人、気持を心に秘めている人に行動を起こしてもらうようにするのが求められていること。』
そんなお話を頂きました。
考えているだけ、指示待ちをしているだけの人間じゃダメ。
考えて、それを行動に移すというあたりまえだけど、とっても難しいこと。
『考動力』が求められている。

小さな一歩かもしれませんが、あの震災が起きてから初めて自分で動けたような気がしました。
不安で少し怖いけど、なんだかとっても清々しい気分で私は岩手県大槌町に向かって出発することができたのでした。

4/29 移動日 埼玉(川越)→岩手(盛岡)

今回のボランティア参加は2009年の大槌夏祭りに参加した3人。コンとナベはもともと専門学校時代の同期生であり、いまだに親交も深い仲間です。
3人の休みの関係で大槌ボランティアの参加日は4/30。一日という短い時間だけれど、3人とも熱意はしっかりと胸に秘めて出発です。

その前に前日までの準備について触れておこうと思います。
事前に岩手県社会福祉協議会のホームページに必要な道具や恰好が記載されていましたが、私たちは詳細が聞きたく直接電話にて問い合わせをしました。
例えば長靴、雨具、スコップなどと書いてありましたが、実際にどの程度のレベルが必要なのかイメージがわかなかったからです。
しかし、どうやら現地スタッフとの連絡がまだまだ綿密には行えないために、詳しい現状が分からないとのことなのです。
現地にどれだけ道具が準備されているのか、実際の作業内容は何をするか、作業場所がどういった状況になっているかなどリアルタイムでは分らない。
現地に同行したスタッフからの情報をもとに準備物を提示するのが精一杯なのだそうです。
既にそこで被災地の現状を垣間見ることになりました。

私たちはホームページに記載された内容をもう一度見直し、自分たちで道具を使うシーンや目的を想像しながら準備をしました。
幸いなことにナベは会社の復興支援で被災地に行ったことがあったので、その話を参考にしました。

そして出発したのは良いものの、出発日はゴールデンウイークの初日。東北自動車道は大渋滞だったので9時に出発して盛岡に到着したのは20時過ぎ、運転手のコンはもちろんのこと各々が既に疲労を溜めてしまった状態です。
そこで私たちは明日に備えリフレッシュするという意味も含めて銭湯を探すことにしました。その時、盛岡の市街地を散策したのですが震災の影響は車の窓から見える景色ではほとんど感じられませんでした。
銭湯に行っても別段何も感じずに、冷麺なんか食べたりしてなんだか観光に来ているような不思議な気分です。
その日は、まだまだ被災地にボランティアに来たという実感もないまま集合場所の駐車場にて、男三人仲良く車内にて一夜を明かしました。

4/30 活動日 岩手(盛岡)→ 大槌町

ボランティア活動、当日の朝になりました。
今回のボランティアは個人が対象の募集だったため、いったん各地から盛岡に集合して、そこから2台のバスに乗って大槌町を目指すツアー形式です。
まだまだ現地は交通網が整っていませんし、車ですら道路や駐車場所を確保するのが難しい状態だそうで個人で現地に行くのは難しいそうです。
行ってからの寝泊りをする場所、食事の用意もないので基本的には個人でボランティアをしたい方はこうしたツアー形式に参加して頂くのが望ましいとのことでした。

私たちは自家用車にて盛岡に入りましたので、集合場所は「ふれあいランド岩手」になります。電車などで来られる方は盛岡駅も集合場所になっているので、アクセスしやすい方を選べるので大変助かりました。

まずは建物の中で受付をします。
職員の方から簡単な予定と注意事項を聞き、ボランティア保険の確認などをしました。その際になんとおそらく支援物資であったろうカロリーメイトやお水などを手渡されました。
まさか自分が貰う立場ではないと伝えると、需要のわりに供給が多いらしい。特に食料関係は余剰傾向にあるので、ボランティアで来てくれた人たちにせめてもの感謝の気持ちとして渡しているとのことでした。
ここでも被災地の需要に対して、供給がリアルタイムにスムーズに行われていないという現実があったのです。

そして私たちは到着したバスに乗って移動を開始しました。バスの中の雰囲気は独特なもので、喋っている声のトーンや会話の内容もどこか影があるように感じます。
やはりこれから訪れる場所を考えると仕方のないことなのかもしれません。

道中は山間部の移動がメインですが、思ったよりもバスの中から見える景色においては目立った異常なんかは感じませんでした。所々で道路が荒れている場所はあったけれど、家屋の状態や建造物なんかは外観からは変わらぬ姿であるようです。
やはり今回の震災がいかに津波のダメージによるものが大部分なのかを実感します。

そして遠野を過ぎ、海岸部に近づくにつれ変化がありました。
まず私たちが目に付いたのは自衛隊のキャンプ地です。学校や公園なんかの広場、恐らくここを拠点に復興活動をしているのだと思います。
それも目視で確認できるだけでもかなりの規模です。こんなにたくさんの自衛隊がいたのかと驚くと同時に、それだけ大変なことなのだと実感が沸いてきました。

そして山間部を抜け、海岸沿いの町に入っていきます。
移動ルートの関係上、私たちはまず釜石の現場を見ることになりました。そこに広がっていた景色は、本当に現実だなんて思えないものばかりです。

くしゃくしゃになった自動車。
一階部分がきれいになくなってしまっている建物。
道路の端に積まれたガレキの山。
何もなくなってしまっている海岸沿い。
もろくも崩れてしまっている防波堤。
山の上の木の枝に引っかかっているゴミ、ガレキ。
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言葉に、文章にするのがすごく難しい現実がそこにはありました。
実は遊園地か何かのアトラクションで、大道具さんか一生懸命作ったものなのではないかな?
そんなバカなことを考えてしまうくらい、私には現実であるってことを認められない、認めたくない状態でした。

バスの中の雰囲気も一気に変わって、みんな何も言わずにただ外を眺めることしかできませんでした。聞こえてくるのは溜息ばかりです。

そんな中、一行は目的地である大槌町に到着します。
今回集まった人たちは二台のバスに分乗していたのですが、バスごとに違う場所でのボランティア活動になるらしいとのこと。
現地には人が必要ではあるけれど、一般のボランティアが参加できるような場所は局地的だし、何十名もの人間を一度に指揮、管理をする能力はないとのこと。
各々、自分のことで手一杯だという現状を知りました。

そして目的地に向かう道中には、バスが道に迷ってしまうというハプニングも。
行き先を案内するはずの県職員の方も十分把握されていないらしく、電話にて現地の人に確認する一幕がありました。
ここでも十分な連絡が取れないこと、指揮をとる人間が不足していることを感じます。

私たちのバスは桜木町という比較的軽微な被害の地域を担当することになりました。
海岸線からも1.5kmほど離れていて海も見えないような地域だそうです。

目的地に到着した私たち。
その地域の第一印象ですが、ぱっと見ただけでは今までの酷い状況と比べると、普通の感じがしました。
家々はあまりにも普通に健在していて、本当に波がここまで来たとは思えませんでした。

バスから降り、現地スタッフからの説明を受けるために移動します。
今回の活動はどうやら8名ごとのグループを作り、そのグループ単位で被災された民家のお手伝いをするようです。
さっそくグループ分けをして、私たちのグループは一人のお爺さんが待つ家を担当することになりました。
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そのお爺さんの家は家屋に被害は少なかったものの、庭が汚泥でぐしゃぐしゃになり、大切に育てていた野菜や植木がめちゃめちゃになったので、その片づけを手伝うことになりました。
ボランティアの拠点になっていた自治会場で必要なスコップや一輪車などの道具を受け取って向かいました。
途中、ゴミや瓦礫を集めておく広場があったのですが、莫大な量に本当に驚きました。

お爺さんのお宅に到着し、ご挨拶をしてから作業スタートです。お爺さんの指示のもと庭を片付けます。
庭に積もった汚泥は4cmほどあり、敷地一杯に流れ込んでいました。確かにこの泥の量をお爺さん一人では無理です。何より体を壊していまいます。

私たちのグループは幸いなことに男手が多かったので、サクサクとスコップで表面のドロをさらっては袋に詰める作業を進めていきます。
あんまり深く掘ってしまうと元々の土を削ってしまうので、気を使いながら作業を進めます。泥を取り除いていくとお爺さんが大切に育てていた野菜や植木たちが出てきて、なんとも言えない気持ちになりました。

途中、休憩もかねて何度かお爺さんともお話をしました。
その震災直後の状況から今までのことを話していただきましたが、とても不安でどうして良いのか本当に分からなくなったそうです。
壊れた電線が原因で山火事が起こったり、水かさもどんどん上がってくるしで何処に行けばよいかも分からなかった。
おばあさんは足を悪くされているみたいで、自力で逃げることも出来ないしお爺さんだけの力ではどうにも出来なかったので、皆に助けてもらったこと。
水が引き、落ち着いたときに戻ってきた家を見たときの気持ち。
途方にくれるとは、このことだと言っていました。

実際に体験した人から、被災地で話を聞く。とても胸に訴えてくるものがありました。

昼休憩のときに他のボランティアさんもたくさん来ていたので、お話をする機会がありました。秋田や山形などの東北の近県から来ている方から、私たちのように関東近隣から来ている人まで様々です。
職業も様々でしたが、北海道でレストランを営んでいる店主の方がお店を閉めてまでボランティアに来られていたのには驚きました。その店主の方、週末は被災地に出向いてスタッフの皆さんとカレーなどの簡単な料理を作って振舞って周っているそうです。
震災が起こったときに、スタッフの方々と話し合って自分たちに出来ることは何かと考えて、この行動に移ったそうです。
とても素晴らしい人たちだと思いました。私もカレーをご馳走になりましたが、本当に美味しかったです。たぶんそんな店主、スタッフの気持ちがよりいっそうに美味しくしていたのだと思います。

また、親子で参加されている方もいました。お父さんと高校生くらいの息子さんでした。
正直な話、朝の集合場所で息子さんを見た印象はイヤイヤ連れて来られたという感じでした。どうして自分がこんなことをしなくてはいけないんだっていうふて腐れたオーラが出るくらい。
それが、そうしたことかお昼ごろには他のボランティアの方ともイキイキと話しています。
後から息子さんに何気なく聞いたのですが、初めてボランティアをしたそうです。ましてやこんな被災地に連れてこられるなんて思ってもいなかったそうです。
けど、実際に来てみて自分の肌で現状を感じて、周りの大人たちが皆とてもイキイキとして作業をしている。心配で自分のことのように他人に奉仕をしている姿を見て、なんとも言えない気分になったそうです。
そして現地の方にありがとうって言われたときに、何かがふっ切れたと言っていました。
お父さんのほうに話を聞くと、息子さんは何かに打ち込むでもなく感情の起伏もあまりなかったそうです。それでこのままでは息子とってダメだ、何か打ち込めるものをもっと何かをと思い今回のボランティアに来られたそうです。
お父さんは消防士のお仕事をされているそうなのですが、自分も人の生死に立ち会って始めて立ち会ったときに強い感情を持ったそうです。
そこから仕事に人生に精一杯取り組むようになったそうです。息子さんにもせっかくの人生をもっと精一杯やってほしくて、何か肌で感じさせられないかと思い参加したとのことでした。

たしかに、言葉でうまく表現するのは難しいですが、私自身も自分の何かが変わっていく意識がありました。
それが感情的な部分なのか、価値観なのかはわかりません。
ただ、確かに自分の中の何かが変化していく手応えはありました。
ガレキ集積所20110430
それから午後の作業を終え、お爺さんに挨拶をしました。
作業は最終的には総勢10人ほどでやったのにもかかわらず、すべて完了させることは出来ませんでした。庭の汚泥を取りさらい、倉庫のダメになった品々を捨てるところでタイムオーバー。
比較的に被災レベルの軽微な家一軒でもこれです。こんな状態、いやもっと大変な状況の場所が数多にあるのです。
私はこれからの復興が本当に可能なのか不安になりました。
出来ないとは思っていません。ただ途方もない時間と労力が必要になるのだと身にしみて実感しました。

集合場所に到着し、桜がヒラヒラと舞う中で私たちは記念撮影をすることにしました。桜の木には昔から人々の想いが宿ると伝えられています。その桜の木の下で、舞い散る思いを感じ取りながら撮影。
今日という日を起点に、礎にするために。

A桜の木の下で20110430

点呼をとり、各々バスに乗って盛岡へ向けて帰ります。

バス車内の様子は行きのバスとは違い、喋る人はほとんどいません。皆とても疲れた様子で仮眠をとる人、車窓を眺める人、考え事をしている人。
今日という一日がどれほど体力的にも精神的にも影響を与えたのかが分かりました。

盛岡に着くと今日一日、同じ時を過ごした仲間とも別れの瞬間です。
お互いの成果を称えあいながら、これからの復興支援を誓い合います。
最後に皆と握手を交わして、帰路に着きました。

その後、今日の流れや感じたことを姐さんに報告しました。
三人とも自分の感じたこと、思ったことを素直に話しました。姐さんが相手だと自分たちの思ったことがスルスルと引き出されていくのですね、不思議です。

エピローグ

私が今回のボランティアで学んだこと。
それは「自分で把握して、考えて、行動する」です。
当たり前のことなのだけど、それがおろそかになってしまっていないでしょうか?

私は出来ていませんでした。
自分で考えているつもりでも実は他人の提案を実行しているだけ、考えること自体しないように見えない振り、聞こえない振りをしていました。
けれど、それでは何も始まらないし何も変わりません。
確かに責任を負わされることも、自分を責めることもないかもしれません。だけどそれでは本当の意味での幸せはやってこないし、誰を助けることも、自分を助けることも出来ないのです。
目を逸らしていても耳を塞いでも、考えなければならない現実はやってきます。容赦はありません。それを今回はイヤというほど感じました。
わたしはこの身で感じた感覚を絶対に忘れません。そうすることでしか失われたことに報いる術はないのではとも思います。

そうは言っても、私ひとりの力では微力です。大きなことは出来ません。
けれど無力ではない、小さいながらも力はあるのです。自分の手が届く範囲だけかもしれないけど、力は使えるのです。

そう思う人をもっと増やしていくこと、影響を与えられる人間になることが私の目標です。
そうすれば震災の復興なんてもっと早くなるし、教訓を本当の意味で活かせる社会になると思います。
長くなってしまいましたが、この様な乱文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
私の思いは文章にすることで誰かに伝えられます。これを読んでくれたあなたが、少しでも心に動くものがあれば幸いです。
そして、その気持ちを是非とも明日から活かしてください。
そしてお体を大切にしてください。

最後になりますが、今回の震災の被害にあわれた皆様にお見舞いを申し上げます。

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鉄筋コンクリートこと大林竜輔

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